指揮者・バリトン歌手 小原裕之
Hiroyuki Ohara - Bariton / Dirigent |
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O Röschen rot! Der Mensch liegt in größter Not! Der Mensch liegt in größter Pein! Je lieber möcht' ich im Himmel sein! Da kam ich auf einen breiten Weg; da kam ein Engelein und wollt' mich abweisen. Ach nein, ich ließ mich nicht abweisen! Ich bin von Gott, der liebe Gott wird mir ein Lichtchen geben, wird leuchten mir bis in das ewig selig' Leben! - Des Knaben Wunderhorn |
(左:ダルトン・ボールドウィン教授と)(右:ヴォルフガング・ホルツマイア教授のクラス集合写真) 今年も、ザルツブルク・モーツァルテウム大学の夏期アカデミーに参加しました。今年は、もはや20世紀の伝説とも言うべき歌曲ピアニスト、ダルトン・ボールドウィン教授のクラスを一週間、そして去年に引き続きヴォルフガング・ホルツマイア教授のクラスを一週間受講しました。 ダルトン・ボールドウィン氏はよく知られている通り、アメリカ出身で、渡欧した後パリ高等音楽院で学び、その後20世紀フランスを代表するリリック・バリトンのジェラール・スゼーと長きにわたって共演を続け、またスゼーのみではなくエリー・アーメリングを始めとする20世紀を代表する歌い手たちとEMI及びPhilipsを中心に大量の録音を残しています。まさに20世紀を代表する歌曲ピアニストであり、「生ける伝説」という言葉がぴったりくるような存在です。 彼は今年86歳になるのですが、まず会って驚いたのは(5年ほど前に日本で彼の公開レッスンを聴講した際も、すでに80歳を超える高齢で7時間ほど休憩もなしにレッスンをするバイタリティと、全く衰えていないピアノの腕に驚嘆したのですが)その元気さです。おそらく日常生活では老齢ゆえのもの忘れ等はあるでしょうが、認知症の影すら感じさせないのはもちろん、自身の足で元気に歩き、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語を使い分け、10〜30代の受講者たちの誰よりも精力的で、そして何より現役時代から何の衰えも感じさせない素晴らしいピアノを未だに弾く、ということです。それはたんに音楽的なピアノというだけではなく、明確な輪郭を持った音、説得力にあふれるフレージング、そしてどんな細かい音のパッセージさえもミスなく、常に歌心を持って弾きこなすテクニックを伴ったもので、そのピアノだけを聴くと、なんで彼がもう現役を退いているのか、さっぱり理解できない、というようなレベルのものです(当然体力には衰えがあるでしょうし、長時間の演奏は疲れるでしょうから、現役を退いているのは当然なのですが。講習会でもやはり体力を消耗するような曲はアシスタントの方に任せることが多くありました)。その彼が奏でる音楽が、彼の言葉以上にすべてを物語っており、その素晴らしさを物語るためにはヴィクトル・ユゴーかトーマス・マンの筆が必要でしょう。「巨匠」という言葉はまさに彼のような音楽家のためにある言葉であり、それはまさに「眼前で展開される伝説」そのものでした。 そんな彼と音楽を共に出来る喜びは、もはや筆舌に尽くせるものでは到底ありません。彼のピアノと共に歌う時は何よりも歌いやすく、彼のピアノによって、音楽も声も、全てがあるべきところに導かれる思いでした。 彼がレッスンで我々受講者に語る言葉は、なにも特別なものではありません。言葉を発するタイミングや曲の解釈などに、奇抜さや真新しさ、独創性などがあるわけではありません。言ってみれば、至極「当たり前」なことばかりです。しかし、言葉を返すとその「当たり前」のことを為すことが如何に難しいか、ということでもありますし、彼が自身の演奏でそれをこの上もない説得力を以って眼前で実現してくれる、このことこそが、彼が如何に「本物の音楽家であるか」ということの証左にほかなりません。 ここで私は、夏期アカデミーにおける講師陣のコンサートで、ヴォルフガング・ホルツマイア教授とダルトン・ボールドウィン氏が共演したハイドンについてふれないわけにはゆきません。 ザルツブルクの夏期アカデミーでは、アカデミー期間中数回に 8月5日に行われたコンサートではホルツマイア教授とボールドウィン氏という、およそ世代も異なり、いずれも第一線を退いたアーティストが奇跡的 ボールドウィン氏は86歳、ホルツマイア氏は65歳で、ボールドウィン氏からすれば息子のような年齢です。結果から申せば、それはまさに「1+1=3」という奇跡的アンサンブルでした。お互いにお互いの演奏から触発されるものが十二分にあったのでしょう。ボールドウィン氏は86とは思えない素晴らしいピアノを奏で、それに触発されてホルツマイア氏も普段よりもさらに生き生きとした演奏を展開、会場は大いに盛り上がりました。まさに一流アーティストとはどのような存在かを内外に知らしめるが如き演奏となったのです。 この奇跡的なコンサートの翌日のレッスンを以って、ボールドウィン氏のマスタークラスは終了しました。 そのさらに次の日から、ホルツマイア教授のクラスが始まったのですが、その初日に、ザルツブルクを離れる直前のボールドウィン氏がホルツマイア氏を訪ねます。私はホルツマイア氏のクラスで自分のレッスンの順番を待っていたのですが、ボールドウィン氏は息子のような年齢のホルツマイア氏と さて、こうして始まったホルツマイア教授のクラスでしたが、今年も受講生のレベルが押し並べて高く、ホルツマイア氏も受講生それぞれからその内側に眠っている情熱や音楽性を引き出すために飛んだり跳ねたり歌って見せたりと大奮闘! 我々受講生もそれに負けじと歌い、またお互いに切磋琢磨し、刺激を受けあいながら音楽をする、という全く興奮するレベルの高いものとなりました。 確かに私は今年の秋からモーツァルテウムでホルツマイア教授のクラスに学ぶことが決まっており、そういう意味ではホルツマイア教授自身の存在や彼のレッスンに、ボールドウィン氏の場合のような驚きや新しさはないのですが、それでもホルツマイア教授は私の音楽の問題点(そしておそらくはそれを通して私の人間的な欠点)を見抜き、そこに対して積極的な指導をしてくれます(もちろん、それを望んで彼のクラスに入ることを希望しました)。同時に彼は私の長所もまたきちんと認め、評価してくれていることは充分に伝わります。そのような連日のレッスンの中で、自身の音楽に対するとらえ方や、また演奏技術上の問題についてもいくつも気づかされるものがあり、一週間のクラスの〆に行われたクラスコンサートでは、何がしか成長した姿を示すことができたのではないかと自負しております。 こうして私にとって今年の夏最大の、そしてもっとも充実した二週間が終わりました。ホルツマイア教授のクラスを受講することができたことはもちろん、それ以上に20世紀の伝説そのものであるダルトン・ボールドウィン氏の また最後に、この二週間を通して世界の若く才能ある音楽家たちと多く知りあうことができたことも、貴重で非常に価値ある経験であった、ということを付け加えておきたいと思います。 このテーマで何か書こうと思うと、書きたいことが山のように出てきてしまいます。ザルツブルクに住み始めて一年と5か月ほど経ったところですが、実際それほどヨーロッパと日本とは様々な面で異なります。食べ物や風景、言葉はもちろん、空気(特に湿度! 日本に比べてヨーロッパは湿度が低く、夏場も「蒸し暑く」はなりません)、日照時間(ご存じの方も多いと思いますが、ヨーロッパは北海道よりも高緯度に位置し、夏は5:00〜21:00と長い日照時間があるのに対して、冬場は9:30〜17:00くらいしか陽が出ません)など、多くのことが異なります。 しかし、個人的にもっとも大きな違いを感じたのは「音楽家が周りからどう扱われているか」でしょう。日本では、「大学教員」や「プロオケやプロ合唱団の団員」など何らかの組織に加入している場合を除いて、残念ながら音楽家が「芸術家」として『一人前の社会人』として扱われるケースは、決して多いとは言えません。特に音大生は「親の脛をかじって趣味を続けている人」と思われている節も多々あります。巷にあふれる「音大生は就職できない」「音楽家になれるのは一握り」「音楽家は稼げない」といった説は、これら日本における音楽家を取り巻く状況を端的に著していると思います。 実際には、決してこれらの説が全て正しいというわけではなく、多くの音大卒業生は、もちろん一般就職をする人もいれば地元に帰って家業を継ぐ人もいますが、何らかの形で音楽活動を続ける人が大半ですし、それらがすべて実入りに結びついていないわけでは決してありません。 ですが、これらの説がすべて間違っていないのも事実です。日本において、演奏家あるいは作曲家として、生活するに足る収入すべてを賄えている人はきわめて稀です。これは当然ながら「日本には西洋音楽の需要があまりない」からです。ですので、大半の音楽家は様々な副業を持って生活費を賄っています。音楽教室などで教えるのはまだいいほうで、私の同窓生の中でも特に優秀だった人ですら、演奏活動の傍ら、居酒屋でバイトを続けている、という人も珍しくありません。 これは、「西洋音楽が外来のものである」以上、いたし方のない部分ではあります。需要がない以上、市場規模が小さくなるのは仕方がありません。 しかし、私が常々疑問に思うの、「稼げていない活動は無駄なのか?」「お金にならない活動は無意味なのか?」敷衍しては「音楽家は稼げないから『職業』ではないのか?」ということです。これはすなわち「日本においてはお金になるかどうかが最大の価値判断の基準なのか?」という疑問の投げかけに他なりません。 残念ながら、この疑問に対する私の答えは「然り」です。日本においては、(昔々、江戸時代の頃などはそうではなかったと思いますが)「経済的価値・効果があるかどうか?」で物事を進めるか否かが決まってしまう社会ではないかと思えるのです。昨今、日本の教育政策として「大学の人文学部を削る・統合する」という動きが出てきていることや、東京都でも大阪府でもオーケストラの補助金削減を、その内実ではなく「黒字でない」ことを理由に決定する動きなどを見るにつけ、残念ながらそう考えるよりありません(「はたして東京都や大阪府に、あれほど多くのプロオケが必要なのか?」という問題は、また別の話です)。 ヨーロッパはこの点において全く異なります。 まず、当然のことながら、音楽に対する社会的需要の絶対量が全く違います。つまり「仕事がある」のです。演奏活動だけで生活費をまかなうことも、大演奏家でなくても充分可能です(もちろん、市場の需要に答えられる音楽的芸術的レベルがあることは必須条件ですが)。ですから、ヨーロッパの音大生は、日本のように「音楽が好きで夢を追いかけるために」音大に来ているわけではありません(そのような動機も当然あるとは思いますが)。芸術的欲求のみによって音大に来る学生はヨーロッパにはいないでしょう。ましてや、「嫁入り修行」や「惰性」で音大に来る人は皆無でしょう。彼らはただ「音楽家という職業に就くために」音大にきます。それは「夢」とか「憧れ」のような漠然とした動機ではなく、「そうすることが自分の生まれ持った才能をもっとも効果的に使え」、なおかつ「自身の様々な欲求(表現欲求、承認欲求などなど)が満たされる」からにほかなりません。 そこで私はこう自問します。「はたして日本には、職業として音楽家を選んで、音大に入ってくる学生はどれほどいるだろうか?」と。そして自答します。「ゼロではないにせよ、職業意識を持っている学生はほとんどいないのではないか」と。 当然です。社会全体が「音楽家」を「職業扱いしていない」のですから。そして、日本では「職業扱いできる」ほど、音楽に対する需要がないのですから。 では、「音楽で稼いでいない者」は、『音楽家』を自身の「職業」として名乗ることができないのでしょうか? この問いをより深めてゆくと、「その人はなぜ自分を『音楽家である』と思えるのか?」という問いにつながります。 実際、私が日本にいた頃、音楽活動による収入は(年によって変動もありますが)年収のせいぜい5割前後で、自分の職業を「音楽家」と名乗ることに抵抗がありましたし、仮に名乗ったとしても「で、どのくらい収入があるのですか?」と聞かれると「5割くらい」が答えであり、「夢のあるご職業でいいですね」と言われるのが関の山です。音楽家であるということは定職についているわけでもなく、基本的にフリーランサーなので、現代日本社会における社会的地位は「自営業」になりますが、それによる収入が大してないと一般的には「フリーター」扱いされてしまいます。私も日本にいた頃は、細々とした演奏活動、音楽指導、合唱指導+各種バイトで生活費をまかなっていました。しかし、私自身は自分のことを「『音楽家』で、今現在は収入があまりないだけだ」と見なしていたので、人から「フリーター」と言われるのには非常に大きな抵抗がありました(実際にバイトの面接で言われたことがあります)。 しかし、私が自分自身を「音楽家である」と見なす理由は「収入の有無」ではありません。これを言葉にするのは非常に難しいのですが、私が自分自身を「音楽家」だと思うのは、「自分が音楽によって生きているから」なのです。私が生きているのは「空気・水・食糧・音楽」のおかげです。それ故に私は自身を「音楽家」であると見なすのです。 はたして人が自身を「何者か」定義する上で、これ以上の、またこれ以外の理由は必要なのでしょうか。「収入の何割を占めているか」「どのくらい時間を割いているか」「それについての専門教育を受けたのか」……。そんなことは、その人が「何者であるか」を決める上では、瑣末のことではないかと思えるのです。 で、冒頭のテーマに戻ってくるのですが、ヨーロッパと日本との根本的相違は、まさにこの部分にあるのではないかと住んでいて思います。日本では「収入」によって定義される職業が、ここでは「自分自身を何者と見なすか」という実にシンプルで根本的な理由によって定義することが赦されていると感じます。 先述の通り、日本では私が自分を「音楽家だ」と名乗っても、様々な理由で周りから「音楽家」「芸術家」と見なされ、扱われているとはなかなか感じられませんでした。しかし、ここヨーロッパでは私が「音楽家」であると名乗れば、収入の有無にかかわらず、銀行の職業欄には「音楽家Musiker」と書くことができますし、周囲もそのように私を扱ってくれます。そこに至り、自分が「音楽家である」ことに誇りを持つことができましたし、自負も、また同時に責任感も生まれました。これは私の内的精神にとって、劇的ともいえる変化でした。 現在日本で指揮者として活動している私の友人が、私が周囲の様々な意見に左右されて、ヨーロッパに行くかどうか躊躇していた時に「結局その人を突き動かしているものは、その人にしか分からないからな」という言葉をくれました。この言葉がなかったらヨーロッパに思い切って来ることもなければ、このようなことに想いが至ることもなかったでしょうから、彼のこの言葉には非常に感謝しています。 彼のこの言葉に、今日のこのテーマの本質がすべてあるように思われます。結局、自分自身が何によって生き、何のために生きるかは、本人にしか分かりませんし、またその価値は本人にしか評価できません。その生き方に責任さえ取れるならば、他人がとやかく言うことではないのです。 最後に、私が座右の銘にしている坂本龍馬の歌を紹介して、今日のテーマの締めくくりとしたいと思います。
約一年ぶりの更新になってしまいました。 この度、ザルツブルクの名門モーツァルテウム大学のディプロム課程合唱指揮科、及び修士課程リート・オラトリオ科に合格いたしました。10月より両課程に入学することになります。 ザルツブルクに来てすでに一年以上が経ちましたが、ここにきて自分の中で声楽(特にリート)をさらに深く学びたい、という欲求と同時に、指揮を正式に勉強したい、という気持ちが高まってまいりました。日本でも3年にわたって指揮活動を行っており、またそれなりの成果も出せていたと自負いたしますが、所詮は我流の方法論によるものであり、また自分の中でも指揮はあくまで第二の位置づけにありました。ですが、ここザルツブルクに来て指揮活動を全くしなくなり、そのことが自身の中でフラストレーションとなってゆくのを感じたのです。 そこで、指揮を勉強したいと思い立ち、まずは自身が声楽を専門としており、また日本でも合唱指揮者として活動していたので、まずはこちらで合唱指揮の課程に入り(日本の音楽大学には全国を見回しても、合唱指揮科というものは数えるほどしかありませんが、欧米ではたいていの音大に存在しており、専門的な教育を受ける機会が与えられています)、合唱指揮を学び、そこからゆくゆくはオーケストラ指揮も学びたいと考えて合唱指揮科を受験しました。すると何の縁か見事に合格してしまい、驚くやら喜ぶやら。これが今年の5月の末です。モーツァルテウムの合唱指揮科には、元ウィーン国立歌劇場合唱団の指揮者というとんでもない経歴を持つカール・カンパー氏が教授として指導しており、彼のレッスンを半年聴講し、その音楽的な素晴らしい指導と、何とも愛嬌のある人柄にも惹かれ、10月から彼の下で学べることが非常に楽しみです。 一方、声楽のほうも止めることはなく、こちらも6月末に受験、すると何とも嬉しいことにリート・オラトリオ科に合格してしまいました。こちらもまた、以前から師事したいと望んでいたヴォルフガング・ホルツマイア教授のクラスに入学することが決まり、喜ばしい限りです。ホルツマイア教授には昨年のマスタークラスでも指導を仰ぎましたが、非常に音楽的で、なおかつ情熱的な指導には全く心を奪われるばかりです。 というわけで、10月からは両課程を学ぶわけですが、ザルツブルク・バッハ合唱団の活動も始まり、目も回るばかりの忙しさになることは予想するに難くありません。ですが、いずれも自身が心の底から望んだ環境、望んだ活動ばかりですので、誠心誠意、音楽に身を捧げる日々を送りたいと思っています。 ![]() 8月1日から6日まで、ザルツブルクにてバリトン歌手ヴォルフガング・ホルツマイア教授のドイツ・リートのマスタークラスを受講しました。 音楽に向かってゆくエネルギー、没入してゆく力、そして積極的な表現…。多くのことを学びました。また、彼の指導を受けられる機会があることを切に祈っています。ホルツマイア教授には感謝の言葉もありません。 また、共に受講した受講生の皆さんにも心から感謝します。 ![]() また一人、時代を代表する偉大な音楽家が世を去った。 今年一月に、フランスの作曲家・指揮者ピエール・ブーレーズ氏が死去したことは記憶に新しいが、3月5日、昨年引退した指揮者ニコラウス・アーノンクール氏が死去した。 遂に私は彼の実演に接する機会を永遠に失ってしまったが、彼の残した素晴らしいバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンを始めとする数々の録音は、これからますます輝きを放つだろう。 個人的にアーノンクール氏のディスクの中でもっとも印象に深い一枚を挙げたい。それは、ヨーロッパ室内管弦楽団との『ベートーヴェン交響曲全集』に含まれる《交響曲第3番》の録音である(写真)。全曲を通じて素晴らしい演奏なのだが、特に私が強い感銘を受けたのは、楽譜通りにトランペットが主題から脱落する第1楽章コーダである。ヴァインガルトナーの改定以降、ここはトランペットが主題を最後まで吹奏するのが常識である時代が長く続いたが、さすがに近年はベートーヴェンのオリジナルのスコアに従う演奏が増えている。その中でも、このアーノンクール指揮の演奏は、トランペットが脱落した後、まさにそれを乗り越えて、木管楽器群が突撃を続けるかのような、非常にアグレッシーフな表情が強く印象に残る。楽譜に書かれていることを如何に形にするか、というのは、私たち演奏家にとっては永遠の課題であるが、その課題に、もっとも果敢に突撃を繰り返した人の一人が、アーノンクールではないか、と思わせる一枚である。 日本ドイツ歌曲コンクール本選に出場するために東京に来ています。昨日(6日)と今日(7日)は共演して下さるピアニストとの合わせ、明日は一日休みをとって、いよいよ明後日が本選当日です! ブラームスとシューベルト、というまさにオーソドックスな作曲家の作品を歌います。「これぞドイツリート!」と言えるような演奏を目指して頑張りたいと思います! 写真は上野恩賜公園の銀杏並木 ![]() 今日はシューベルトの命日ですが、シューベルトとは関係あるようで関係のない話題です。 すでにサイトトップでもお知らせいたしましたが、去る10月29日、東京文京区の文京シビック小ホールで行われました「平成27年度文部科学大臣賞 第26回日本ドイツ歌曲コンクール(日本友愛協会主催)」二次予選にて、本選への出場者に選ばれました。一次予選参加者が46人、本選出場者はわずか11人という狭き門でしたが、今回、見事に(かどうかは知りませんが)突破いたしました! 本選は、来る12月29日、予選と同じく文京シビック小ホールにて、16:40から行われます。入場券(¥2,000)はご連絡くださればご用意いたします。 ちなみに私の出番はだいたい18:00頃、予選と同じく浅井文さんのピアノでブラームス〈日曜日〉〈永遠の愛について〉、シューベルト〈魔王〉、田三郎〈くちなし〉を歌います。お時間のあられる方は是非是非お越しくださいませ! 現地時間昨夜(日本時間今日未明)、パリで痛ましく、恐ろしい事件が起こった。市内の複数の場所で銃撃、爆破が相次ぎ、犠牲者は150名を越えたという。 古今東西、いつも犠牲になるのは全く何の罪もない一般市民だ。そして、本当に責任ある為政者が「責任を取らされる」ケースは極めてまれだ。為政者の失政のつけを、国民が払わされる。 だが、元はといえば、一連のテロの激化、膨大な難民の発生、シリアでの文化財の破壊、これらはすべてブッシュ元大統領時代に、アメリカが引き起こした数々のバカげた戦争が元凶だ。9.11同時多発テロの犯人、と云い募ってアフガニスタンに侵攻、アフガニスタンの政情はいまだに安定していない。その次はイラクだ。国連決議もなく、何の根拠もないまま、イラクが大量破壊兵器を持っている、という理由で侵攻、イラクを蹂躙し、多大な犠牲者を出し、サダム・フセインを捕えて処刑したものの、結局大量破壊兵器はイラク国内からは発見されなかった。ここから大量の難民が発生し、解体された元イラク国軍の兵士らは皆テロ組織に参入した。 そして、このアメリカの尻馬に乗って、ホイホイと中東まで自衛隊を派遣したのが小泉氏だ。小泉氏もアメリカの片棒を担ぎ、イスラム過激派の成長に一役買ったのだ。 結果、何が起こったか。数え切れないほどの罪のない人が殺され、家を奪われ、国を追われ、大量の難民が今、欧州を混乱に陥れている。 戦争を引き起こしたブッシュ氏と、彼を支持したアメリカ国民、それに同調した小泉氏と、それを支持した日本国民、その他、世界中のイラク戦争に何らかの形で加担した人は全員、責任を感じてもらわなければならない。直接手を下したではないにせよ、昨晩の犠牲者は間接的に戦争を引き起こし、支持した人々によって殺されたのだ。 いまのところは、日本では「言論の自由」が保障されている。先に多くの国民の反対を押し切って成立した「安保法制」に関しても、延べ数十万の人がデモに参加したが、現在の時点では「デモに参加する」ことそれ自体が罪に問われることはないし、政権批判、政治家批判をネット上に投稿したり、SNSで発信したり、新聞や雑誌に書いても、その行為そのものを「明確に罪に問う」法律は存在しない。 だが、今の時点でも言論の自由に対する圧力はじわじわと我々の足元に迫ってきている。 その最たるものが「自重・自粛」ムードだ。テレビ局は、実際には具体的な圧力がかかっていないにもかかわらず、「上に睨まれるのではないか」という根拠のない恐怖心から、率直な意見表明を避ける傾向があるし、一般の人々もSNS上、居酒屋、世間話、あらゆるところで政治的社会的な話題を避ける傾向がある。特に我が国において政治的社会的話題を避ける傾向は今に始まったことではなく、「いろいろな意見があるんだから」というよくわからない理由でそういう話題を避けたり、「酒がまずくなる」などといわれてそのような話題を口にする者は往々にして非難されてきた。 かつて、「言論の自由」が完全に否定されていたドイツで、フルトヴェングラーは言った。「音楽のあるところだけは完全に自由だ。音楽はゲシュタポが手出しできない国に我々を連れていってくれる」 日本にも昔、そんな時代があった。いや、日本では音楽や芸術は軟弱なものと見なされてきたし、それさえも自由には行えなかった。 21世紀の日本が、再び「音楽の国でしか自由になれない」国にならないように心から祈る。 「在日特権を許さない市民の会」(通称「在特会」)を始めとする、在日外国人(特に韓国・朝鮮人)に対する憎悪表現が問題になっている。その内容も「ゴキブリ朝鮮人は死ね」「ゴキブリシナ人を日本から叩き出せ」など、ちょっと聞くに堪えない内容である。さらに、過去には「在特会」関係者が暴力行為を行い、その刑事責任を問われたケースも存在する。 これに対し、暴力行為は別として、「いわゆるヘイトスピーチ」も表現、言論の自由である、という主張が存在する。 確かに、我が国では日本国憲法によって、集会・結社の自由、表現・言論の自由が保障され、保護されている。「在日外国人はただちに国外に退去すべき」という意見を表明する権利を、誰も制限することはできない。 しかし、なかんずく「在特会」が街宣活動で行っているデモンストレーションは、多くの人に不快感を与え、さらにその標的となっている在日外国人に恐怖感さえ与えているわけで、これはもはや単なる主義・主張の範疇を逸脱したきわめて攻撃的なものであると言わざるを得ない。相手に反論の余地も与えず、極めて根拠薄弱な主張を叫び、威嚇の言葉を用いるものは、もはや表現と呼びえようか。 もちろん、表現の自由は保障されるべきであり、言論の自由は最大限保護されなければならないことは論を待たない。しかし、その自由は全く無制限なものではないはずだ。というより、むしろ保障・保護されるべきは「表現・言論」の自由であり、「罵詈雑言」の自由であってはならない。さらにその「罵詈雑言」が、出身国や出自など、本人の意志や努力と無関係な「属性」に基づくものは、もはや差別以外の何ものでもない。不祥事を起こした会社を非難したり、汚職を犯した政治家に辞職を求めるのとは全くわけが違うのだ。過日、産経新聞が国会前におけるデモなかで、安倍内閣総理大臣に対する言辞を「ヘイトスピーチ」と表現したが、内閣総理大臣に対してその政策を批判し、退陣を要求するのと、在日外国人に対してその「出自を以って」退去を要求するのでは全く話が違う。ここに「表現・言論」と「差別発言」との大きな違いが潜んでいる(時として時の首相に対する批判は侮辱的な個人攻撃に及んでいることもあるが、これは非難されてしかるべきである)。別の言い方をするならば、「在日外国人は国外退去するべきである」と述べるのと、「在日は出ていけ」「朝鮮人は死ね」「皆殺しにするぞ」と罵るのは全く別のことなのだ。 集団で、特定の「属性」を持つ人々に、根拠薄弱かつ攻撃的で差別的な言辞を弄することは、元より許されるべきではないし、断固として断罪されるべきである。日本が本当に「先進国」である、というならば、このような示威的行動に対しての一日も早い法整備を進めることを強く願う。 9月5日、京都の旭堂楽器店サンホールにてスイス・ツューリヒ芸術大学歌曲解釈コース教授のハンス・アドルフセン氏による歌曲解釈のための公開レッスンが行われ、受講者として参加いたしました。私は、R. シュトラウス〈ひそやかなる誘い〉、シューベルトの《白鳥の詩》〜〈アトラス〉、ヴォルフの《メーリケ歌曲集》〜〈散歩〉をレッスンしていただきました。 ハンスさんはまず、何よりも素晴らしいピアノを弾かれる方で、信じられないような素晴らしい音と、明確な音楽を提示してこられ、まずその演奏に深い感動を覚えました。また、詩の背景に対する深い造詣、曲の精神に対する理解、いずれも素晴らしいもので、他の受講者のレッスンを聴いていても、自分がレッスンを受けていても、まだまだ自分が音楽家として、人間として勉強しなければならないことを思い知らされたように思います。 ですが、ハンスさん自身は常に穏やかで快活で、私たち受講者に親しげに語りかけ、常に前向きで建設的にアドバイスをされ、高ぶることなく、受講者と一緒に音楽について考えよう、という姿勢を貫かれていたことが何より印象的でした。確固たる信念を持つ人ほど、それをひけらかすことなく、謙虚なのかもしれません。素晴らしい出会いでした。企画して下さった加藤苑絵さんはじめ、関係者の皆様には感謝しかありません。 ![]() さる3月12日、私が指導する女声コーラスが、ある老人ホームへ慰問演奏に行った。慰問演奏ということで、ペルゴレージの《スターバト・マーテル》の第1曲に始まり、山田耕筰の歌曲の編曲版、私のソロでシューベルトのよく知られた歌曲を3曲、《ふるさとの四季》から数曲、最後を再び山田耕筰の〈松島音頭〉で締めくくった。 正直、決して素人受けしない、ある意味少々難しい曲が含まれていたと思う。特に私がソロで歌ったシューベルト歌曲(〈湖上にて〉〈野薔薇〉〈菩提樹〉)は、タイトルや一部の旋律がよく知られている半面、その実際は長く、また歌詞もドイツ語であるし、入居されているご老人には少々難しかったであろう。 実際、演奏開始直後の反応は非常に悪かった。演奏する我々も、普段の練習場と全く違う聞こえ方をするホームの談話室に戸惑い、軽いパニックに襲われているメンバーもいた。 だが、曲が進むにつれ、だんだんと聴いているご老人方が反応し始め、演奏中に話したり、今までほとんど眠っていたような人が、我々や、私のソロに合わせるかのように声を出し始めたのだ。 おそらく、聴いておられた方々も、一緒に声を出していた方も、演奏されている曲については何も知っていないであろう。まして、認知症の方も多くいるやに見受けられた。しかし、それでも、我々の声に反応して、声を出していた。 私は、これが、これこそが音楽の本来あるべき姿ではないかと思う。理屈ではない。理論ではない。音楽の根底にあるのは「音を出したい」「声を発したい」という肉体的生理的欲求なのだ。音楽を聞くと身体が反応し、知らず知らず声を発してしまう。それこそが本来の音楽の意味ではないか。 特に音楽を専門としようとする者は、発声の技術、演奏の技術、楽曲分析、解釈と、技術的なことを第一義とする。それらが無意味であるとはもちろん言わない。そういう技術があってこそ、「音楽を専門とする者」の存在価値があるのだ。だが、その一方で、音に対する自身の生理的欲求を忘れ去っては、音楽が本来持っている姿、本来の意味を失ってしまうことになるのではないか。私は、音楽家として、いついかなる時も、この本来の姿を忘れずにいたいと願っている。 「地域の景観を守れ!−高層マンション建設反対!」「パチンコ屋はいらない!」「葬儀場建設反対!」・・・。よく聞く、よく目にする建設反対標語である。 高層マンション建設に反対するのは非常によく理解できる。 高層マンション建設には大掛かりな工事が必要であり、騒音も発生するし、完成したら大きく景観が変わってしまう。 また、その土地にあった古い屋敷などを解体して、高層マンションが建設される、というのもよく聞く話である。 パチンコ屋建設に反対するのもよくわかる。パチンコ屋は巨大な施設であり、ちょっと扉が開くだけで耳をつんざくような騒音が聴こえてくる。 外観も美しいとは言い難いものが多い。また、風紀が悪くなることを懸念する向きもあるだろう。 だが、なぜ葬儀場建設にも反対するのだろうか。 確かに葬儀場も大きな施設であり、景観を壊すこともあるだろう。 だが、多くの人が葬儀場に反対する理由はそこにはないのではないか。 むしろ、「人の死」を扱う施設が生活の場に近くあることを忌み嫌うからではないだろうか。 そんなものが近くにあるのは「縁起でもない」という訳である。 日本人は、だいたい日常会話の中でも「死」に関する話題を忌避する傾向がある。すぐに「縁起でもない」「そういう話はやめよう」というのである。 私事であるが、昨年(2013年)の大晦日の朝、母方の祖父が82歳で永眠した。 私は今までに幾人かの人の葬儀に出席し、見送ってきたが(なぜか私が見送ってきた人は皆50代か60代でなくなった人ばかりで、それはそれでやりきれないものだったが)、今まででもっとも身近な人の死は、いろいろなことを考えさせられる出来事であった。 何よりも、祖父の死に直面し、「死」というものが如何に容赦なく、生きている人をただの「骸(むくろ)」にしてしまうか、という厳然たる事実を見せつけられた思いである。 人は、死ぬと「亡骸(なきがら)」となり「骸」となる。それはもはや生きている「人」ではない。 もちろん、「遺体」は粗末に扱うものではないし、また我々残された者の感情として粗末に扱えるものではない。 だが、もはやそれは生きていた「本人」ではないのである。 「死」は、生きているものに、人間にも動物にも虫にも魚にも、よい人にも悪い人にも、等しく訪れる。 その形がどういうものであっても、「死」がその身に訪れない者はない。 だから、「死」を常に身近なものとして考えることは必要なことではないだろうか。 「死」もまた、生きることの一部なのであり、生活の一部であるべきである。 故に、「葬儀場」もまた、生活のための施設の一つとしてあるべきではないだろうか。 それを、見ていて気分が悪いものだ、と考えるのは、「死」から、そして「生」からも逃避していることにつながるのではないだろうか。 ![]() 私が音楽家を志す遥か昔、といっても20年くらい前の話だが、家に『アバドのたのしい音楽会』という絵本があった。 クラウディオ・アッバード氏が、少年時代にミラノ・スカラ座を訪れ、何も分からないままにドビュッシーの《海》を聴いて感動した話に始まり、音楽やオーケストラの楽器について、子供向けながらも詳しく解説し、指揮者という職業についても詳しく説明した、面白い絵本だった。 小さい頃、私はその絵本が好きで繰り返し読み、また両親の録画していたアッバード指揮ベルリン・フィルハーモニーの来日公演のチャイコフスキー《交響曲第5番》も繰り返し観た。 小さい頃、アッバード氏は私の中で英雄であり、カラヤンやバーンスタインの現役時代をリアルに知らない私にとって最大の指揮者だった。 長じて、音楽家を志すようになってからは、アッバード氏のロッシーニやヴェルディ演奏に耳を傾け、その精緻さに目を見張る想いを何度もした。 特に、スカラ座を指揮しての《シモン・ボッカネーグラ》のスタジオ録音は何度聴いたかわからない。 さらに、ベルリン・フィルハーモニーの監督を退任し、癌を克服してからのルツェルン祝祭管弦楽団との数々の名演、マーラーやブルックナーを大きな感動とともに幾度となく聴き、観た。 アッバード氏は、私の中で、そして全世界にとっても、まぎれもなく巨匠であった。 カピバラさん、バッハのコラール・プレリュードに挑戦! ストップは??? !足鍵盤に届かない! 仕方がないから聴いて我慢しよう… 民主主義とはいったい何であろうか。 それは、国民の選挙によって政治家が選ばれ、国を運営・管理する、というシステムのことではなく、「国民が自ら自分たちの行く末を決め、その決定に全責任を負う」という考え方のことである。 ここに、ある上司がいるとする。 その人物は非常によく仕事ができ、上には如才なく、部下のミスは全く見逃さずに厳しく指摘し、また部下の判断すべきを先回りして判断し、職場を的確に回してゆく。 一見すると、この上司は実に「完璧な」人材に思える。 しかし、この上司の下にいる部下はどうなるであろうか。 些細なミスでも上司にすぐに指摘され、注意を受ける、自分が判断すべきことは、すでに上司が判断しており、自らが判断する必要がない…。 このような中では、人間の至極当然の心理として、自ら判断することがなくなってゆき(また、自ら勝手な判断をすると上司から注意されるかも知れない)、何よりも仕事をする上での最大の目的が「ミスをしない=叱られないこと」になってゆき、仕事の上での「自発性」ががなくなってゆく。 部下は上司の言われた通り、あたかもロボットのようにきめられたことを行うのみでよくなってゆく。 判断する必要がない、ということは、逆にいうと何も考えなくてもよい、ということであり、ある意味楽なことでもある。 この状態は、要するに「独裁」と何ら変わりはない。 国のトップがすべてを決定し、国民はそれに従うだけでよいのである。 「民主主義は、大きな危機に直面すると、そのことに対して自ら負わなければならない責任の重圧に耐えきれず、独裁者を選ぶ」とは、映画「スター・ウォーズ エピソードIII シスの復讐」の音声解説で、監督のジョージ・ルーカスが述べた言葉であるが、民主主義が本来持っているべき「自らのことを自ら判断しなければならない」責任の重さに耐えきれず、独裁者を選んだことは、歴史上ままある。 もっとも有名かつ顕著な例は、かのアドルフ・ヒトラーである。 第一次世界大戦後の異常なまでのインフレーションと失業率という経済の低迷の中で、強いドイツ民族と経済の復興を力強く訴えたヒトラーは、クーデターでも革命でもなく、ヴァイマル憲法下の「合法的な」選挙で、「ドイツ国民自らの手で」選ばれ、首相(のち総統)の座に就いたのである。 もちろん、政治家がそれぞれに掲げる政策の内容を精査することは、有権者の大きな義務であり責任である。しかし、同時にその政治家が「国民の権利と民主主義を順守しようとしているか」も、有権者たる我々国民は注意深く審査する必要がある。 我々は、もっとも大切な「自らの行く末を自ら決めることのできる権利」を手放すべきではない。 最近、日本人の感覚や、物事に対する反応についてよく違和感を感じる。 先日、刑務所における医療についての問題が報道されていたが、それに対するネット上の反応のほとんどは、犯罪者に血税を使うのは無駄、犯罪者(特に殺人犯)は生きている価値がない、即刻死刑にすべき、といったものだった。 確かに、国民皆が汗水流して稼いだ所得から取られる税金が、自分たちではなく、犯罪者のために用いられる、ということに対する反発は、感情としては理解できるし、犯罪(特に殺人や性犯罪といった凶悪なケース)を犯した者を極刑にすべし、というのも、被害者感情、遺族感情としては理解できる。 しかし、「法」や「社会正義」という問題が、そういう感情論のみで論じられてよいのだろうか。 死刑についても、冤罪という場合をこの際考慮しないとしても、人の生死について、本人に会ったこともないものが、簡単に犯罪者は生きるに値しない、などと発言したり、判断したりできるものなのか。 人間の価値というものは、もっと哲学的に考えられ、論じられるべきものではないのか。 そして、刑罰というものについても、そもそも「刑」というものは、犯罪者の更生のためのものなのか、被害者や遺族のためのものなのか、あるいは社会の安寧(犯罪抑止など)のためのものなのか、また今の日本ではそのいずれのために刑が科せられているのか、そして、本来それは何のために課せられるべきものなのか、という議論を経ずして、税金の無駄遣いである、などと言えるだろうか。 日本人は、その長い歴史を見ても、「罪」というものを忌避し、罪あるものを排斥して忌み嫌っていた。それは現代でも同じで、多くの人は犯罪というものを忌むべきもの、としか考えず、自らの問題、そして自己との関わり、という観点から考えようとしないのではないか。 しかし、犯罪者もまた人間なのであり、日本人なのであり、直接的ではないにせよ、どこかで自らとつながっている存在なのだ。 私は、決して被害者や遺族よりも犯罪者を優先すべきである、と言いたいのではない。そもそも、問題はどちらを優先すべきか、ではない。 犯罪者を自らと無関係な、忌むべき存在として断じるのではなく、なぜその犯罪が生まれたのか、という背景について考えなくては、犯罪者を減らす、真の犯罪抑止にはならないのではないか。 犯罪者個人を裁けばよいのではなく、犯罪というもの自体を、もっと大きな社会全体の問題として、そして自分自身の問題として捉えるべきなのではないかと思うのである。 今日は契約書の話をしようと思う。特に、音楽を生業としない人たちにはなかなか縁のない、「音楽家の契約書」の話である。 日本での演奏活動では、契約書を作ることは、大規模なオペラやオーケストラの入団などの場合を除いて、あまりない。大概は、口約束で行われる。 これに対し、ヨーロッパでは、極めて内輪のプライヴェート・コンサートなどの場合以外は、殆ど契約書を作成し、これへの署名によって出演内容、報酬が明確に定められる。 日本では、このようなヨーロッパ方式を、堅苦しい、あるいは出演者同士の信頼関係にもとる、といった理由で敬遠する向きも多い。 だが、その一方で、よく発生するトラブルが「こんなはずじゃなかった」というものである。 最初に聞いていた話よりも曲数が増えた、練習回数が増えた、ギャラが少なかった、といったトラブルは、非常によく耳にする。 実際に、私自身このようなケースに一度ならず出会った。 このようなトラブルが発生した場合でも、日本ではだいたいがなあなあに解決され、それとなく人を介して不満を伝えたり、その一件をきっかけに疎遠になったりするケースも多い。 あるいは、全く逆のパターン、つまり、当初のつもりよりもギャラが多かった、待遇がよすぎた、という場合もある。 こういう場合でも、解決策はなあなあに、「場の空気を読んで」なされる。 しかし、何となく解決はしているかもしれないが、双方が不快な気持になることも多いし、貴重な人間関係や音楽的な協力関係が崩れることも往々ありうる話である。 これは非常に不幸なことではないだろうか。 一方のヨーロッパ式に契約書を作成するやり方は、確かに「場の空気を読んだ」流動的な部分が全くなく、ある意味逃げ道がないが、その分あらゆる条件が明文化されており、何らかのトラブルが発生しても、すべては契約書に基づいて解決することができる。 私は、少々堅苦しかろうが、ヨーロッパ式に契約書を作成した方が、どんな局面であってもものごとがはっきりし、無用のトラブルや労力、気遣いや時間が必要なくなると思う。 特に、出演報酬が支払われるにせよ、出演者から負担金を集める場合にせよ、お金が動く場合は必ず契約書を作るべきではないだろうか。 そのあたりが常にあいまいなのが、日本で演奏家の地位が確立されない遠因ではないかとも思われるのだが。 ホームページをアップした本日は、そのことについて書くのが筋なのかもしれないが、今日は最近思う音楽と食の関係について話してみたいと思う。 私は仕事柄、そして自分自身の趣味としても、音楽を聴くのが好きなので、折に触れて演奏会に足を運ぶ。 私は外来の演奏家の演奏を好むので、お金に余裕のある時はヨーロッパの演奏会の来日公演を聴きに行くことが多い。 もちろん、自分の大学の同期生や先輩、後輩の演奏するコンサートに足を運ぶこともあるし、日本の演奏家の演奏を耳にする機会も多い。 私は、決して日本の演奏家の演奏が悪いとは思わない。 中にはそうでない人もいるかもしれないが、日本の多くの演奏家は皆音楽に真摯に向き合い、作曲家たちが楽譜に込めた思いを聴衆に伝えようと研鑽を積んでいるに相違ない。 しかし、ヨーロッパの演奏家の演奏を聴いた後、必ず私は一つの想いに捕らわれる。それは、「ワインを飲みたい」という思いだ。 こう書くと、あまりに唐突過ぎて、こいつは頭がおかしい、と思う向きもあるかもしれない。 が、ヨーロッパの演奏を聴いた後は、絶対に日本酒ではないし焼き鳥ではない。 別にワインでなくシェリーでもいいかもしれないしウィスキーでもいいかもしれないが、(私はワインが好きなのでワインなのだが)少なくとも、その時は日本の酒ではない。 日本の演奏を聴いた後は、こういう想いに捕らわれることはほとんどない。 なぜか、ヨーロッパの演奏には、その音に、会場の空気に、演奏者の立ち居振る舞いに、ヨーロッパの食と酒の香りが漂っているのだ。 日本に住み、日本の空気と日本の時間の中で、日本語を話し、日本の食べ物を食べて暮らしている日本の音楽家に、これを求めるのはどだいお門違いなのかもしれない。 しかし、我々が演奏し、やろうとしているのは、日本の能でも、狂言でも、歌舞伎でも、長唄でもない。ヨーロッパの音楽であり、文化なのである。 そして、言うまでもないことであるが、「食」もまた、その文化なのである。 別に日本にいて毎日洋食を食べる必要もないし、米を食べてはならない、ということもないのだが、音楽家は、日々の食から、自分たちの出す音楽が始まっていることを忘れるべきではない。 そして、日本の演奏家の演奏を聴いた後に、ワインを飲みたくならなくてもいいのかもしれない。 だが、演奏会に足を運んだ人々が、そのままコンビニに直行して「かつ丼弁当」を食べてもいいのだろうか。 演奏会に足を運んだあとに、このまま帰るのはもったいない、ちょっとおいしいものでも食べて帰ろうか、そう思わせるのが、演奏家の仕事ではないだろうか。 |